日本国憲法は「押しつけ」ではありません

9条は幣原(しではら)首相(当時)が提案!
「押しつけ憲法」否定 あらたな資料 (東京新聞 8/12付)

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マッカーサー書簡に明記

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 憲法9条は、1946年1月24日に幣原首相(しではら)とマッカーサー最高司令官との会談が発端になったと見られています。
 マッカーサーは幣原の発案とアメリカ上院などで発言していましたが、幣原首相(当時)は長期にわたって語ることはなかったので、信用できないとする意見もあり、誰が提案したかについては意見が分かれていました。


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 2016年1月、東大名誉教授である梶尾輝久氏が国会図書館所蔵の憲法調査会関係資料から英文の書簡と調査会の和訳を見つけました。
 この書簡は、憲法調査会の高柳賢三会長が憲法の制定過程を調査するために58年にアメリカに渡った際、高柳氏の質問にマッカーサーが回答したもので、58年12月15日付けのものです。



書簡の内容 (8/12付 東京新聞より引用)

58年12月10日付 高柳氏 マッカーサー宛

「幣原首相は、新憲法起草の際に戦争と武力の保持を禁止する条文を入れよう提案しましたか。それとも貴下が憲法に入れるよう勧告されたのか」

58年12月15日付 マッカーサーの返信 

「戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が言ったのです」
「提案に驚きましたが、首相にわたくしも心から賛成であるというと、首相は、明らかに安どの表情を示され、わたくしを感動させました」

さかのぼって 58年12月5日付 マッカーサーから高柳氏あて

「(9条は)世界に対して精神的な指導力を与えようと意図したものであります。本条は、幣原首相の先見の明と経国の才志と英知の記念塔として、朽ちることなくたち続けることでありましょう」(堀尾氏訳)

憲法制定の過程 おもな流れ
1946年1月24日 幣原首相とマッカーサーGHQ司令官が会談
    2月13日 GHQ草案を日本側に提示
    3月 6日 日本政府案を発表
    3月20日 帝国議会に提出
   10月 7日 成立
1947年11月 3日 日本国憲法が公布
1951年 5月 5日 マッカーサーが9条は幣原の発案とアメリカ上院で証言
1958年12月   高柳憲法調査会長が渡米、マッカーサーと書簡を交わす。


堀尾輝久(ほりお・てるひさ)東大名誉教授のお話し

-9条2項も、幣原の発案と考えていいのか―

「1項だけでは「1928年に締結された戦争放棄を宣言した)パリ不戦条約そのもの。往復書簡の『9条は幣原首相の先見の明と英知』、幣原の帝国議会での『夢と考える人があるかもしれぬが、世界は早晩、戦争の惨禍に目を覚まし、後方から付いてくる』などのあ発言を考えると、2項も含めて幣原提案とみるのが正しいのではないか」

-幣原がそうした提案をした社会的背景は―

「日本はもともと中江兆民、田中正造、内村艦三らの平和思想があり、戦争中は治安維持法で押しつぶされていたが、終戦を機に表にでた。民衆も『もう戦争は嫌だ』と平和への願いを共有するようになっていた。国際的にもパり不戦条約に結実したように、戦争を違法なものと認識する思想運動が起きていた。そうした平和への大きなうねりが、先駆的な9条に結実したと考えていい」

-今秋から国会の憲法審査会が動きだしそそうだ-

「『憲法はおしつけられた』という言い方もされてきたが、もはやそういう雰囲気で議論がなされるべきではない。世界に9条を広げる方向でこそ、検討しなければならない」 (東京新聞より引用)


安倍首相は今秋から国会の憲法審査会を動かすとのべ、改憲に執念を見せています。堀尾氏はこう述べます。

「9条は日本国民が求めてきたものであり、だから国民は改憲を許してきませんでした。同時に、憲法の制定過程からも占領軍の押しつけではなく、日本側の提案を受けたものであることが明瞭になっています。世界中が戦乱の危機にあるいまこそ9条の理念を世界に広げ、平和を築いていく方向をでこそ議論するべきです。これは憲法前文が求めていることなのです」

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